フリダヤ瞑想のマントラとヤントラは、本来どのように受け取るものなのか。 そして、直接会わずにオンラインでお渡しすることに意味があるのか。
ここでは、インドの伝統的な祈りの儀式である プジャ について、 少し補足しておきたいと思います。
本来の伝授は、プジャから始まります
もともとフリダヤ瞑想の伝授は、インドの伝統的な形式に則って行われます。
神や聖者の祭壇に、祈りや供物を捧げる簡単な儀式を プジャ(pūjā) といいます。 その祈りを通して祝福を受け取り、その力をマントラに込めてお渡しする。 そして、そのマントラに対応するヤントラも、火の力を持つ補助ツールとして添える。 それが今回のオンライン伝授の形です。
パランパラという、受け継がれてきた流れ
この瞑想の伝統をつないできた人々の系譜を、 インドでは パランパラ(paramparā) と呼びます。
私自身もその末席につながることで、神々や聖者から受け継がれてきた恩寵に触れ、 それを次の方へお渡ししていく立場にあります。
マントラは、ただの音や言葉ではなく、 その流れとつながるための「鍵」のようなものだと私は考えています。 ヤントラは、その鍵の働きを視覚的に支え、内側の火を静かに灯す補助ツールとして扱います。
A SMALL STORY
聖者からもらった、ただの石ころ
とはいえ、もしかすると、必ずしもマントラでなくてもよいのかもしれません。
以前、インドの聖者に会いに行ったとき、 その方から、その辺りに転がっていた石ころを一ついただいたことがあります。
本当に、どこにでもあるような石ころです。 けれども聖者は、何かを静かにつぶやき、その石に息を吹きかけて 祝福してから、私に渡してくれました。
「これは、君をずっと守ってくれるから」
その石は、今も家の小さな祭壇に置いてあります。
大切なのは、「何かを受け取った」という感覚
実際には、石でも、言葉でも、マントラでもよいのだと思います。
大切なのは、自分が何かを受け取ったと感じること。 目に見えるものの背後にある、祈りや思い、祝福を受け取ることです。
そのときは石ころかもしれません。 別のときには、マントラという短い音や、ヤントラという図形かもしれません。
時代が変わり、伝授の形も変わりました
本来であれば、瞑想を受ける人が伝授者のもとへ出向き、 直接プジャを行い、その場でマントラと祈りの力を受け取ります。
これが、伝統的な正式の形です。
ただ、時代は変わりました。 今は、祈りや伝授をオンラインで行うことも可能だと私は考えています。
実際、インドの寺院では、名前や生年月日を送り、 お布施を納めることで、本人がその場にいなくても 厄災を祓うためのプジャなどを行ってくれることがあります。
オンライン伝授では、どのように行うのか
今回のオンライン伝授では、お申し込み時にいただいた お名前と生年月日をもとに、マントラと対応するヤントラを選びます。
私の祭壇には、これまでフリダヤ瞑想を学ばれた方々のリストが置かれています。 この習慣は、約20年前から変わっていません。
その祭壇で日々プジャを行い、これからお渡しするマントラとヤントラにも祈りを捧げます。 伝授時には対応ヤントラを画面に表示し、マントラの働きをより力強く支える火の補助ツールとして受け取っていただきます。 そのため私は、直接お会いしてお渡しする場合と同じように、 オンラインでも祝福を届けることができると考えています。
科学的に証明できるものではありません
「プジャという祈りに、本当に力があるのか」 「そのエビデンスはあるのか」と聞かれれば、 現在の科学で証明できるものではありません。
ここは、信じるか、信じないかという領域でもあります。
ただ、これまで何千人という方に瞑想をお伝えする中で、 多くの方が安らぎや内面的な変化を感じてこられました。 以前から行ってきたオンライン伝授でも、 直接お会いした場合と変わらない体感を語られる方が多くいらっしゃいます。
※体験には個人差があります。瞑想や祈りは、医療行為や治療の代わりとなるものではありません。
伝統を、現代に合う形で
オンライン伝授は、昔から続く伝統の方法を、 現代の暮らしに合う形へ整えたものだと考えてください。
インドには、「神は普遍である」という考え方があります。 「不変」ではなく、普遍 です。
それは、神聖なものは、あまねく、すべての場所に存在するという意味です。 そうであるならば、祈りや祝福も、距離や時間を越えて届くのではないか。 私はそう考えています。
もちろん、こうした考え方を信じるかどうかは、その方の自由です。 そもそも「そんなものはない」と思う方は、 この瞑想を学ぼうとは思わないかもしれませんね(笑)。
以上、オンラインでマントラとヤントラをお渡しすることについての、 少し長い補足説明でした。
masa